胃がん(ステージ1)がんを乗り越え富士登山競争完走

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体験談のあらすじ

北海道江別市在住の吉田洋一さんは、マラソン大会に出ることが生きがいで、病とは縁遠い生活をしていた。しかし、50歳の時、会社の健康診断をきっかけに胃がんが発見され、手術を二回受ける。それでもマラソンは諦められなかった。持ち前の体力と熱心なリハビリによって、驚異的なスピードで日常生活に戻ることができ、その後も多くのマラソン大会に出場するまでに回復した。

本編

ランニング人生に現れた病の影

吉田洋一さん(取材当時58歳、2009年当時50歳)は、ランニングが趣味で週末には20~30kmのロング走をしており、健康には自信があった。
しかし、2009年1月頃から締めつけられるような心臓の痛みがあり、少し不安に感じた。
微熱も続いていたため内科クリニック病院で、血液検査と心臓の聴診を受けたが、特に問題はないといわれた。
それでも吉田さんは痛みの理由が気になり、24時間の心電図を簡易的に測定できるポータブルな医療機器を借りることにした。

丸一日測定し、専門の医療機関に送ったが、結論は「多少の不整脈はあるけれど心臓には問題なし」ということだった。
時々痛みはあったが、吉田さんは次のマラソン大会に向け、走り込みを行った。

5月21日。
会社の健康診断でバリウムを飲む胃のレントゲン検査を受けた。
結果、胃潰瘍が治った痕があり、念のために胃カメラでの2次検査を勧められた。

自覚症状が全然ないので心配はしなかったが、何事もすぐに行動して解決するのが吉田さんの信条。風邪すら滅多にひかなかったので、家族も心配はしていなかった。
念には念を入れて、という気持ちで、胃腸科専門のクリニックに行くことに。
そこでは、鼻から内視鏡を入れる検査が行われた。
胃潰瘍が治った痕が見つかったため、表面を切り取って検査することとなった。

結果は良性で、胃潰瘍の治療を行うことになった。
しかし、胃の痛みや重い感じがするなどの自覚症状はまったくない。
そのうち傷は消えるんだろうと、薬も時々飲む程度で放っておいた。

吉田さんは、マラソン大会に数多く参加しており、次の「富士登山競走」を完走するための身体づくりに集中していた。
ところが、富士登山競争の直前にもう一度胃カメラで検査することになった。

2009年7月17日。
病院で再び鼻から入れる内視鏡検査が始まった。
胃潰瘍は治っているが、その周りに何かあるため、組織を取って検査することになった。

吉田さんは病気だとは思っていなかったので、早く「大丈夫」だという診断結果がほしかった。しかし、なかなかはっきりとしないため、「もう勘弁してくださいよ」と言いたい気持だった。

病理検査の結果は、「富士登山競走」を終えた後に伝えられることになった。

「富士登山競走」は、天候が悪く、短縮コースでの開催となった。
完走するために半年近く厳しい練習を積んでいたため、不完全燃焼だった。
「この悔しさを来年こそは晴らしてやる!」
更に意欲が高まった。

胃がんの発見と胃の全摘

大会翌週の月曜日に医師から結果を聞いた。
悪性の腫瘍だった。
「手術が必要で、状況によっては胃の全摘をしなければならない」という。
今まで病とは無縁だった吉田さんにとって、青天の霹靂だった。

がんと診断された吉田さんは落ち込んだ。
大好きなランニングとお酒がもう無理なのかという不安が膨らんだ。
会社の産業医に相談すると、状況によっては走ることやお酒も大丈夫だと言われ、少しだけ安心した。

翌週、病院へ行くと、面談した医師から9分9厘、胃がんで間違いないと言われた。
内視鏡的粘膜下層剥離術(ESD)”という手術で、組織を取って検査をし、リンパ節に転移していなければ胃を切らなくてすむと伝えられた。
しかし、リンパ節への転移が疑われる場合には、再び手術してその時は胃を切らなくてはならないとも説明された。

「胃を切らなくてもいい可能性があるならば、たとえ手術を2回受けることになっても、そっちにかけたい」
そう決心した吉田さんは担当医にお願いした。
8月11日、口からの内視鏡でESD手術が行われた。全身麻酔で3時間。
無事手術は終了し、ほっとした。

退院間際に担当医から残念なことを言われる。
病理検査した結果、がんが深いところまであり、リンパに転移している可能性がかなりあり、医師としては胃を切る外科手術を勧めるというものだった。

(やはりそうだったか…)
「わかりました。切ります」
吉田さんは即答した。
治療のことで悩むなんてことはしたくない。
さっさと終わらせて元の生活を取り戻したい。
吉田さんは前向きだった。

2回目の手術は7週間先の10月9日になった。
しかし体力に自信のある吉田さんは納得できなかった。
さっさと2回目の手術を受けてすべてを終わらせたかったのだ。
そのため、手術のあと、別の治療が必要な場合は、回復期間なしに続けてほしいと申し出た。

10月9日、二度目の手術を受ける。
お腹の4か所に穴をあけ、腹腔鏡を使って胃の上半分を切除する手術だった。
手術を終え、集中治療室(ICU)で目が覚めると身体が痛んだ。
こんなに痛いものとは想像していなかった。
妻の手を握っていると一瞬でも痛みが和らいだ。

日常に向かって走り始める

手術から3日後、吉田さんは点滴棒を持ちながら階段を上り、病院の屋上に上がった。
早く体を動かしたかったし、外の空気を吸いたかったからだ。

階段を登れたことが自信になり、翌日からは病院の階段を使いトレーニングを始めた。
病院内の階段を3往復する階段練習を午前中に2セット、午後2セット。
身体を動かすことで「自分はまた走れる」という確信みたいなものが芽生えてくる。

ただ食事の後に、食べたものが口まで戻ってくることがあった。
ダンピング症候群だ。
順調に回復はしているものの、本来の自分ではないことがくやしかった。

それでも再び元の生活を取り戻すことが目標だったので、担当医に聞いてみた。
「先生、退院したらお酒飲んでも良いんですよね?」
1ヵ月は控えたらどうかと返されたが、飲んではいけないとは言われてないため、退院し自宅に戻った日の晩、ミニ缶のビールを飲んだ。
「抜群においしい」
いままで頑張った病院生活が終わったと強く実感した。

手術を受ける前に受けた説明では、飲食したものの味が変わるかもしれないと伝えられていたが、変わらなかった。
「自分は大丈夫だ」
小さなことの積み重ねが大きな自信となった。

吉田さんが目標としたもう一つの日常は、ランニングとマラソン大会への出場だ。
病院の階段登りはできた。すぐにでも走れるはずだ。
退院して2日目、吉田さんは走ってみた。
「いける。またできるぞ!」
体力的には手術前の4割程度だが、十分にランニングを楽しむことができた。

12月には月間300kmを走り込んだ。
急ピッチで回復している。
疲れを感じることもあったが、ここまで戻せたことが嬉しかった。

年が明け1月、体力的には手術前の状態にまで戻せたと感じる。
そして例年参加している地元のマラソン大会では自己ベストに迫る記録を出した。
驚異的な回復だった。
さらに走り込みをした。数ヶ月前にがんの手術を受けた人とは思えない元気さだった。

いよいよ昨年の無念を晴らすための「富士登山競走」大会が近づいてきた。
自分の思いをぶつける舞台がやってきた。

がん乗り越えたウルトラマラソン

この1年間いろんなことがあった。
自覚症状がないにもかかわらず、胃潰瘍が治ったような痕があると言われ、2ヶ月間の検査の末、胃がんと伝えられた。
もうマラソンなんてできないかと思った。
それから手術、手術と続き体力が低下したが、今年こそ「富士登山競走」を完走したい。その一心でリハビリとトレーニングを積んできた。
胃が半分ないことの不自由さは感じるが、それでもこの過酷なレースを完走したい。

そして迎えた2010年7月23日の富士登山競走大会。
積極的なレースをした吉田さんは4時間11分で見事に完走する。
2年越しの悲願を達成した。

その後、毎年走り続けてきた「サロマ湖100kmウルトラマラソン」の2012年大会にも出場し、「がん乗り越えウルトラマラソン」とスポーツ新聞で報道された。
それを読んだ両親がとても喜んだ。
親孝行ができた、そう感じた。

そして2014年の同大会では10回目の完走を果たし「サロマンブルーメンバー」と言われる鉄人の称号を得た。がんから5年が経った年だった。5年経てばがんが治ったとみなされる。
更に、2007年の「別海パイロットマラソン(3時間07分33秒)」が手術前の自己ベストだったが、2011年の同大会で「3時間04分04秒」で完走。
胃が半分しかないというハンディキャップを負っているにもかかわらず、病気前の自己記録を3分も更新する快挙だ。

今も元気に走り続けている吉田さんは3年後の還暦の時、またサロマ湖100kmウルトラマラソンを走るという。
幸せな日常を取り返した今、これまで以上にランニング人生を楽しんでいる。

吉田洋一さんの詳しい「がん闘病記」、及び「インタビュー記事」はウェブサイト『ミリオンズライフ』に掲載されています。ぜひ、読んでみてください。

plus
大久保 淳一(取材・編集担当)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイトの編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト「5years.org」を運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。

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