子宮類内膜腺がん(ステージ1期)、卵巣がん:ダブルキャンサー

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体験談のあらすじ

突然の不正出血から子宮類内膜腺がんであることが分かった大山志乃香さん。手術だけで取りきることができたものの、卵巣にもがんが見つかった。同時多発性のがんだったのだ。悩み抜いた末、思い切って抗がん剤治療を受けることに。そして、「5years」の仲間たちとの出会いに恵まれた。

本編

放置していた胸のしこり

広島市在住の大山志乃香さん(取材時46歳/2014年当時43歳)は、31歳の時に会社の健康診断で大学生のころからあった右胸のしこりのことを相談した。
医師に検査を勧められ、広島市内の中規模総合病院の外科を受診した。
体調に異変もなく、大きくもならないのでずっと放置しておいたしこりだった。
マンモグラフィー、触診、血液検査、CT画像検査、そして生検と一通り検査を受けたところ、「乳腺繊維腺腫」で良性の腫瘍だと言われる。

悪性ではないとは思っていたが、医者に診断してもらったことで心が軽くなった。

以前から心配していた夫に報告した。夫とは大学時代からの付き合いだ。
無口だけどとても優しい。
夫は「やっと病院に行ってくれたか。これで安心したよ」と嬉しそうだった。

大山さんは、博物館や施設などの空間の企画、設計、工事、運営をする会社で働いていた。
やりがいがあり、毎日、忙しくも充実していた。

ところが2014年、43歳の時。
右胸のしこりが大きくなっていることに気づく。
腫瘍が大きくなると悪性の可能性がある。
12年前に医師から、「(しこりは)大きくなってきたら、よくない」といわれた言葉が頭をよぎった。

病院で触診、胸部MRI、血液検査、細胞診を受けると、がんではなく、乳腺の疾患の葉状腫瘍(ようじょうしゅよう)の可能性があるという。

“葉状腫瘍?”
聞いたことがない病名だ。

良性のものもあれば悪性のものあるらしい。
看護師の姉に相談すると、乳腺専門の外科がある病院を受診することを勧められた。

その年の5月、乳腺外科のある広島市立広島市民病院でしこりを見てもらうと、良性の可能性が高いとの診断を受ける。
手術で取り、生検も行った方がいいと勧められるが、一人では即断できず、夫や姉に相談した。
乳がんでない可能性が高いのなら、生検は行わず、すぐに手術を受ければいいと、7月7日に日帰りで外科手術を受けることになった。

狭い手術台に横になり、胸に局部麻酔をされ、手術が始まった。
医師たちの会話が聞こえたのには閉口した。

しこりは3つもあったが、病理検査をすると、良性の乳腺繊維腺腫だとわかった。
今後は、年に1度の経過観察でいいという。
気持ちが楽になった。

病魔の報告書

2015年の2月と3月に不正出血があった。
大山さんにとっては、珍しいことだったので、広島女性クリニックで子宮頸がん検診と、子宮体がんの検査も受けた。
がんの可能性は低いと言われたが、念のため病理検査をすることに。

1週間後、検査結果が出た。
“子宮頸がん:異常なし、子宮体がん:疑陽性”

がんの疑いがあることがわかったものの、取り乱すことはなく冷静な自分がいた。
夫のほうが辛そうな顔をしており、そんな顔をさせてしまうことが大山さんには辛かった。

4月4日、広島女性クリニックで組織診のための生検。
結果が分かるまでの1週間、不安でじれったい思いを抱えながら過ごした。

4月10日、医師は開口一番に「結果が良くない」ことを伝え、難しい医療用語と英文が載っている病理の報告書をみせた。
「Endometrioid adenocarcinoma(エンドメトリオイド・アデノカルシノーマ)」
その言葉から視線を外すことができなかった。

「子宮類内膜腺がん」を意味しているという。
がんであることがはっきりした。

医師が何か説明していたが、耳に入らない。
ただ、「初期のため手術すれば命を落とすことは無い」と言っていたような気がする。

自宅で一人、夫の帰りを待った。
メールや電話で知らせず、直接言うことにしたが、緊張で何も手がつけられなかった。
どう言えばいいか分からず、必死に言葉を探す。

自宅で一人、夫の帰りを待った。
メールや電話で知らせず、直接言うことにしたが、緊張で何も手がつけられなかった。
どう言えばいいか分からず、必死に言葉を探す。

夫には「よくなかった…」ただそれしか言えなかった。

驚く夫の顔をみて、自然に涙が出てきた。
自分の不安を受け止めてくれる大切な人が帰ってきたからか、押し殺していた感情があふれ出す。
夫は黙って抱きしめてくれた。
本当にありがたかった。
「なっちゃったものは仕方ないよ」
そう言われ「この人と結婚してよかった」と思えた。

ネットで病気と治療のことを調べた。
手術のこと、後遺症のこと、転移した場合の最悪のケース。
目に入る情報は恐いものばかりだった。

夫と相談して、広島市立広島市民病院で治療を受けることにした。

4月28日に初診を受け、腹腔鏡下子宮全摘術、両側付属器切除、骨盤リンパ生検の手術が決まった。
子宮も卵巣も全部摘出する。

44歳、もう子供を望める年ではないとはわかっていたが、産めなくなると思うと涙が出そうになる。
でも、摘出すれば命が助かる。
そう言い聞かせるしかなかった。

手術を受けたらすべてがすっきりすると思っていた。
大山さんだけでなく医師もそのつもりだった。

驚異的な回復力とがんの同時多発

5月22日に3時間に及ぶ手術が行われた。

手術後の痛みは思ったよりも軽く、手術を本当に受けたのかと首をひねるほどだった。

初期の子宮体がん(ステージ1)で転移はなかった。

回復も早く、見舞いに来た友人から「本当に手術受けたの?」と驚かれるほどだった。

5月27日に退院し、6月10日に職場に復帰。
すべて順調で、復職も果たした。

ところが、6月17日の経過観察に行くと、医師は複雑な顔をしていた。
空気が張り詰め、不安が広がる。

子宮体がんについては予想通り「ステージ1A期」だったが、卵巣に問題があるという

報告書には、左の卵巣に子宮腫瘍と類似した組織があり、子宮腫瘍が「ステージA」だったことから、同時多発ではないかと書かれていた。

“同時多発…?”テロじゃあるまいし、何のこと?
がんという病気が、別々に、しかも同時に発症している?
意味が解からなかった。

がん細胞が身体の中にある可能性があり、抗がん剤を使った全身化学療法を予防的に行うことはよくある。
抗がん剤治療(TC療法)をした方がいいと言われた。

何を言われているのかわからなかった。
すべてをひっくり返され、すぐにでも怒鳴り散らしたかった。
抗がん剤治療を受けるべきか、自分では判断できない。

姉に抗がん剤のことを相談すると、「副作用を抑える薬もあるし、少しでも早く受けた方がいい」と言われた。

がん相談支援センターや広島女性クリニックの医師とも相談した。
悩んだ。
どうすればいい?夫も不安そうだ。
「後悔したくない」そんな思いが込み上げる。
やれることをすべてやろう。
「抗がん剤に託そう」そう決めた。

私を支えるもの

会社には、今まで通り、普通に接してほしかったので、事前にすべてを伝えた。
言って良かったと感じる。
自分からオープンに積極的に語ることで、同僚もがんの治療中はどう接すればいいかをわかってくれた。

7月16日から抗がん剤治療(TC療法)が始まった。
2泊3日で入院し、パクリタキセルカルボプラチンが点滴で投与され、21日間を1クールとし、合計3クール行う。

便秘、味覚障害、足のしびれ、全身に蕁麻疹。
次々に副作用が出た。

そして、髪がバサバサと抜け落ちる。

翌日床屋で坊主にしてもらった。
ショックはあったが、なかなかできないウィッグや坊主生活を楽しむのだと、前向きになるように努力した。

抗がん剤治療中、入院中を除き、毎日出勤した。
職場の人たちの理解とサポートのおかげで仕事もいつも通りにこなすことができた。
夫が毎日車で送迎してくれたのも大きかった。

抗がん剤治療順調に進み、10月中旬には全3クールを終えた。

当初、受けるかどうか悩んだ抗がん剤治療だったが、
「この程度で終わって良かった」
素直にそう感じた。
今では、あそこまで悩む必要はなかったのではないかと思うほどだ。

12月のPET-CT画像検査では、「問題なし」と太鼓判を押される。
ようやく闘病生活を終えることができ、日常に戻れた。

2016年4月10日は大山さんががんの告知を受けて1年目の記念日だ。
この日を晴れ晴れとした気持ちで迎えられることがうれしかった。

ある時、友人に「がんの辛い話は聞くが、副作用が少なく仕事もしながら治療できる人もいるんだね」といわれた。
ハッとした。
確かにそうだ。
自分の体験を発信することで、がんで苦しむ人が少し楽になるかもしれない。

大山さんはピアサポーターになるため、研修を受け、がん患者の力になれるよう動いた。

今までは、がん治療中は同じ病気を経験した人との交流をしていなかった。
悩みや辛さを話せる場が欲しい。
そう思ってネットを調べているうちに「5years」のサイト(https://5years.org/)に出会った。
「5years」のメンバーと交流していくうちに、不安が消え、再発の不安を抱える大山さんを支える大切な場所となっていった。
仲間との出会いが、今後の経過観察の10年という長い道のりを支えてくれると確信している。

大山志乃香さんの詳しい「がん闘病記」、及び「インタビュー記事」はウェブサイト『ミリオンズライフ』に掲載されています。ぜひ、読んでみてください。

plus
大久保 淳一(取材・編集担当)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイトの編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト「5years.org」を運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。

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