中咽頭がん(ステージ4)元の生活を取り戻した

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体験談のあらすじ

 微熱、咳、喉の痛みがあってクリニックを受診した松井雅彦さん。風邪だと診断されたが喉の違和感がなくならない。耳鼻咽喉科で検査をすると中咽頭がんで食道に転移があるとわかった。食道のがんを内視鏡で取り、中咽頭がんは放射線と抗がん剤で治療することになった。抗がん剤の副作用には苦しんだが、妻と愛猫を支えに「負けるものか」と闘争心をもって乗り切った。治療後の検査ではがんは消えていた。

本編

きわめて悪性の可能性のある腫瘍

神奈川県逗子市の松井雅彦さん(取材時55歳 2015年当時52歳)は、東京・新宿にある大手百貨店に勤務している。42歳のときに結婚した4歳年下の妻と、妻の両親の4人暮らし。このままだと保健所行きになってしまう保護ネコを譲り受け、「マコちゃん」と名前をつけてかわいがっている。

2015年の10月のことだった。微熱が出て、咳が止まらず喉の痛みが続いた。毎年1回は風邪をひき、扁桃腺が腫れる。その程度だろうと軽く考え、念のために会社近くのクリニックへ行くと、案の定「風邪でしょう」と診断された。

処方された解熱剤で熱は下がって、これで解決だと安心していたが、何日たっても喉の違和感は消えない。
「変だなあ。何だろう」

そう思っていると、仕事中に同僚から「首のあたりが浮腫んでいますよ」と言われた。
その同僚もかつて喉の病気を患ったことがあると言う。

12月19日、地元・逗子市の耳鼻咽喉科を受診した。
鼻の穴からファイバースコープを入れる検査を受けた。
https://www.ncc.go.jp/jp/ncch/d001/gairai/kensa/naishikyoukensa/index.html

しかし、喉の炎症と腫れがひどいらしい。薬で腫れを抑えてから再検査ということになった。

3日後、再び耳鼻咽喉科で再検査を受けた。
検査をしていた女性医師の顔がこわばった。
「きわめて悪性の可能性が高い腫瘍があります。
大きな病院で診ていただきたいので紹介状を書きます」

悪性の腫瘍と言えばがんではないのか。やばいかもしれない。
紹介された横浜南共済病院へ向かう途中、妻に電話をした。
妻は唖然としていたが、夫の身に大変なことが起こっていると察して、「私も行く」と言ってくれた。

待合室で1時間ほど待って診察室へ呼ばれた。
再び、ファイバースコープを鼻の穴に入れられた。モニター画面で映像を見ることができた。
何か白いモコモコしたものが鼻の内壁についているのがわかった。
「ああ、これ、がんですね」

30代の男性医師から、驚くほどあっさりと告知された。
組織を取って検査は終了。
医師は今後の検査予定を淡々と説明した。
胃の内視鏡検査、CT画像検査、MRI、PET-CT
松井さん本人は意外と冷静に受け止めていたが、隣にいた妻はショックで座っているのがやっとという状態だった。

中咽頭がんステージ4、食道に転移あり

松井さんが気になったのは仕事のことだった。
百貨店は年末商戦の真っただ中。
そのあとは初売りがあり、冬物セールと、もっとも多忙な時期だ。
こんなときに入院するなんて、どれだけまわりに迷惑をかけるか。
しかし、そうも言っていられない。ミーティングでがんのことを上司と同僚に伝え、12月24日には胃の内視鏡検査を受けた。
28日には検査の結果が知らされた。
中咽頭がん。食道に転移あり」

思ったより重症だったようだが、食道の転移は内視鏡で切除できると聞き、少しだけ気持ちが軽くなった。
中咽頭がんに対しては放射線治療を行う
しかし、当時の横浜南共済病院には放射線機器がなかったので、内視鏡での手術が終われば、横浜市立大学附属病院に転院しなければならなかった。

翌29日から元日を除いて1月3日まで普通に仕事をこなした。
2日に大学時代の友人15人ほどに、自分が中咽頭がんを患っていること、食道に転移していることを、メールで伝えた。
一人からありがたい情報が届けられた。
「同級生の〇〇が咽頭がんを経験したようだから、聞いてみたら」

さっそく連絡を取ってみた。1年半前に中咽頭がんを患って治療を受けたようだ。
今はとても元気にしていると言う。
「放射線治療が終わると唾液が出にくくなり、味覚障害も現れるので、今のうちに食べたいものを食べた方がいいよ」
そうアドバイスされた。
体験した人にしかわからないことだった。「 大丈夫だから」と何度も言ってくれた。
体験者の言葉だからこそ安心することができた。

松井さんは、妻と一緒に食べ歩きを楽しんだ。
ずいぶんとお金も使ったが、「あれも食べておけばよかった」という後悔はしたくなかった。

数人の友人からは「横浜市立大学附属病院なら大丈夫」というメールももらった。
セカンドオピニオンをどうしようかと迷っていたが、友だちの助言に従って、この病院にすべてを任せることにした。

1月4日にMRIとCT検査、6日にPET-CT検査を終えて、1月12日には「中咽頭がんステージ4、食道に転移あり」と改めて告げられた。
まずは横浜南共済病院で食道に転移してるがんを内視鏡手術で取り、胃ろうを設置したあと、横浜市立大学附属病院に移って、抗がん剤と放射線による中咽頭がんの治療をするという方針も説明された。
抗ガン剤は2クール目がきついけれども、それを乗り切れば希望はもてると言う。

妻はずっと泣いている。
松井さんも涙をこらえられなかったが、「絶対に負けない」と自分に言い聞かせた。

抗がん剤の激しい副作用を乗り切る

1週間後、内視鏡の手術。麻酔から覚めると傷口がひどく痛んだ。
小学校のころから剣道をしていて痛みには強かったが、それでも咳をするたび、泣きたくなるような激痛が走った。
胃ろうを設置し、いよいよ中咽頭がんの治療に入る。

妻は、パート仕事が終わると毎日見舞いに駆けつけてくれた。妻の顔を見るのが最高の喜びだった。

2月5日に横浜市立大学附属病院に転院し、8日から放射線治療が始まった。
月曜日から金曜日までの週5日間、合計39回の照射を行う。
同時に、8日からは抗がん剤(ドセタキセルフルオロウラシルシスプラチン
の治療が始まった。5日連続で投与する全身化学療法だ。まだ副作用はあまりひどくなかったが髪の毛は抜け始めた。

3月7日、第2クールの抗がん剤治療が始まった。
ここを乗り切れば希望がもてるという難関だ。13日に激しい副作用に襲われた。
40℃を超える熱。嘔吐と下痢を繰り返した。
意識がもうろうとする。
布団を5枚重ねても寒気で震えが止まらない。
白血球が極端に低下し、個室に移された。

「これが先生の言っていたやつか」
「でも、これを乗り切れば大丈夫なんだ。何としても乗り切るぞ」

苦しかったけれども、闘争心は失わなかった。
かつて不安障害を発症したことがあった松井さんだったが、がんに対しては非常に強い気持ちで立ち向かうことができた。

毎日、見舞いに来てくれる妻の存在は大きかった。
そして、子猫のマコちゃんのことも頭をよぎる。妻とマコちゃんのためにも復活してみせる。
元の生活を取り戻してみせる。
そう思うと不思議と力が湧いてきた。

口から食べられたときの感動

4月8日、全39回の放射線治療を終え、ついに退院の日を迎えた。
ほっとした。
うれしかった。

しかし、元の生活には程遠い状態。
声が出ない。
放射線を当てた首元の皮膚がただれ、モルヒネの貼り薬を使わないと痛みに耐えられなかった。
食事もできず、胃ろうから栄養剤を入れる。時間もかかる。何と惨めな食生活かと情けなくなってしまう。
唾液も通常の4割くらいしか出ず、やたらと口が渇く。

焦っても仕方ない。
目標を決めた。まずは口から食べられるようにしよう。
そして食べられるものを増やしていく。
6月に予定されているPET-CTの検査を無事にクリアしよう。

少しずつ目標に近づくのがうれしかった。
トーストをコーンポタージュスープで湿らせて食べたときの感動は忘れられない。
「ああ、口から食べられる」

健康なときには当たり前のことが、こんなにもありがたいなんて。
これで目標をひとつクリア。
少しずつ食べられるものが増えていった。

6月2日
PET-CT検査。そして7日に妻と一緒に結果を聞きに行った。
これまでになく緊張した。
名前を呼ばれて診察室へ入った。医師は検査画像を見ている。果たして何と言われるのか。
「あー」

医師が口を開いたとき、ドキッとした。
「消えていますね。今後は定期的に検査を受けてください。良かったですね」
やったー。
妻と顔を合わせた。うれしかった。

7月には仕事に戻った。
体に負担のない部署から徐々に慣れていけばいいという会社の配慮にも感謝の気持ちでいっぱいだ。
9月には胃ろうが除去された。味覚障害もほとんどない。これで惨めな食事をすることもない。

松井さんはスキーが大好きで、妻と泊まりがけで滑りを堪能するのが毎冬の恒例行事だった。
この年はがん治療のためにお預けになっていた。
元気になったお祝いに道具を新調し、12月には菅平高原で、翌年の1月には志賀高原で、生まれ変わった気持ちでゲレンデを滑り降りた。

6月には退院して丸1年の節目ということで出雲大社に2人でお参りに行った。
体調も順調に回復している。
2018年も妻とのスキーツアーを楽しみ、5月には伊勢神宮を参拝した。
がんになったことで知り合いも増えた。昔から友だち、がんを通じて知り合った人たち。
ありがたいご縁だ。
かわいいマコちゃんにもデレデレの松井さん。
これまで以上の幸せを手に入れた。

松井雅彦さんの詳しい「がん闘病記」、及び「インタビュー記事」はウェブサイト『ミリオンズライフ』に掲載されています。ぜひ、読んでみてください。

plus
大久保 淳一(取材・編集担当)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイトの編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト「5years.org」を運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。

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