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体験談のあらすじ
看護師として働いていた25歳のとき、左脇下にしこりを見つけた竹條うてなさん。乳房を全摘出することに迷いはなかったが、抗がん剤の副作用で不妊になること聞かされ、衝撃を受ける。結婚して子供を産みたいとかねてから望んでいたからだ。不妊のことを医療者に相談したが、冷たい対応をされ、やがて、引きこもるように。しかし、がん治療を終えて、同年代のがん患者の仲間を作りながら、周りに心を開くことで気持ちが楽になることに気づいたのだった。
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本編
突然のがんと不妊の可能性
徳島県吉野川市在住の竹條うてなさん(取材時31歳/2012年当時25歳)は東徳島医療センターで、看護師として忙しい毎日を過ごしていた。
2012年9月5日
脱衣所で服を脱いでいる時、左脇下に違和感があった。
よく見ると、2センチくらいのしこりがある。
一気に血の気が引いた。
「がんだ。なんでこんなに大きくなるまで気がつかなかったんだ。ここまで大きいと転移しているかもしれない」
咄嗟にそう思う。
入院病棟の看護婦として、日頃から乳がんの患者さんの看護をしていて、乳がんには気をつけていたはずだ。
先月だって、新しい下着を買うときに、フィッティングルームで胸の周囲を触ってしこりがないことを確認したのに……。
見つけることができなかった自分が悔しくてたまらなかった。
死の可能性を考えると、震えが止まらず、急いで母に話した。
母は驚いていたが、冷静に話を聞いてくれた。
そのおかげか落ち着くことができ、今後のことを考えられるようになった。
竹篠さんが勤めている東徳島医療センターで、仕事終わりに診察してもらえることになった。
仕事を終えると、生検とマンモグラフィーを行った。
顔見知りに診察してもらうのは恥ずかしかった。
マンモグラフィーは生検よりもずっと痛かった。
検査が終わり、マンモグラフィーの画像を見ると、学生のころ教科書で見た典型的な「乳がん」の症状が映し出されていた。
医師にも良性である可能性は低いと言われる。
冷静に受け止めるよう努めたが、動揺を隠すことができない。
呆然としていると先輩看護師が心配して声をかけてくれた。
その瞬間、緊張が解け、涙があふれた。
自分が看護師であることを忘れ、ただただ泣き続けた。
重い足取りで、自宅に戻ると心配した母が出迎えてくれた。
母は、検査で乳がんであることを確定したと知ると、代われるものなら代わりたいと泣き叫んだ。
母を悲しませるのは辛かったが、心配してくれる人がいることが唯一の救いだった。
その後、長期休暇を使い、検査を受けると、非浸潤性の乳管がんだと告げられた。
がんの増殖度は高く、ホルモン剤は使えない。
そのため、手術を行ってから抗がん剤を使うことになる。
遠隔転移してはいないか心配でたまらなかった。
もし転移していたら、ショックで自殺するかもしれない。
そんなことを考えるほど追い詰められていた。
だが、PET―CT画像検査から、遠隔移転は見つからなかった。
微かながら、希望の光が差し込み、治療に専念することができた。
手術は10月3日に決まった。手術の説明を受けている時、全摘か部分切除か選択を迫られた。
胸がなくなるよりも、再発のほうが怖いため、迷わず全摘することを伝えた。
しかし、手術後の抗がん剤治療の副作用で、不妊のリスクがあると説明された。
「子どもが産めなくなるリスク……」
衝撃的だった。
どれほどの確率かはわからないが、妊孕性(妊娠できる能力)が下がるという。
胸を全摘することですら大きな決心だったのに、幸せな家庭を夢見ていた竹篠さんにとって、子どもが産めなくなるかもしれないなんて、あまりにも残酷な宣告だ。
それ以来、Facebookで友人の結婚や子供の写真が嫌でも目に付くようになった。
羨ましい、妬ましい……。
だんだんと、心が悲鳴を上げ始める。
がん患者になった自分
10月3日、無事手術を終えた。
電気メスで皮膚が焼かれたため、嫌なにおいがする。
鏡を見ると、本当に左胸がなかった。
失うことに抵抗はなかったが、寂しさを感じる。
順調に回復し、11日後には退院した。
病理検査結果には、「浸潤性乳管がん、グレード2、ステージ2a、ER(-)、PgR(-)、HER2(3+)、リンパ節転移なし、壊死型石灰化(+)」と書かれていた。
オペ前は非浸潤性と聞いていたが、実際に切除してみると「浸潤性」だったようだ。
抗がん剤治療のEC療法(エピルビシン、シクロホスファミド)が始まった。
初日に点滴投与し、3週間を1クールとし、合計4クール行われた。
仕事でよく見る薬のため怖いとは思わなかったが、投与されると気分が悪くなり、食事が喉を通らない。
髪も抜け、風呂場で拾い集める時間が苦痛だった。
外見が変わり、がん患者らしい風貌の自分になった。
鏡を見るたび、目を背けてしまう。
2013年に入ると、次の抗がん剤(パクリタキセル)と分子標的薬(ハーセプチン)治療が始まる。
パクリタキセルは毎週1回点滴で投与し、3週間経過すると4週目を回復期に充てる治療で、4クール行う。
ハーセプチンも点滴で投与するが3週間を1クールとし、18クール行うため、一年がかかりの治療となる。
パクリタキセルの副作用により、手先がしびれ、足の親指の爪がはげ、体重が10キロも増える。
単調で厳しい抗がん剤治療の生活。
竹篠さんは、精神的にまいってしまい、家に引きこもり始めた。
“若くしてがんになるなんてかわいそうに”
そう周囲に憐みの目で見られるのが嫌だった。
睡眠導入剤と精神安定剤を手放すことができなかった。
心無い医療現場
それ以上に不妊のリスクが気がかりだった。
詳しく知りたいと、専門医を訪ねると、淡々と説明される。
「約3分の1の患者は一度生理が止まり、その中でも一部の人は生理が戻らないことがある。もし生理が止まり、半年経過しても戻らなかったら妊娠は諦めなるしかないでしょう」
その言葉に感情はない。
無機質な言葉はナイフのように、竹篠さんの心をえぐった。
後日、友人に進められ緩和ケア看護師に不妊ついて相談することにした。
だが、竹篠さんに交際相手がいないと知ると「不妊の心配よりも先に彼氏を作らないと」と言う。
意地悪そうに笑う看護師に、医療現場の冷たさを実感した。
その翌月、生理が止まった。
まるで竹篠さんの失望を表しているようだった。
自宅に引きこもっている間は完全に無気力状態だった。
このままじゃいけないと思うが、体が動かない。
絶望に心も体も縛られていた。
そんな竹條さんを癒してくれたのがヨークシャーテリアの「コロ助」くん。
がん告知後に、我が家の一員になった子だ。
コロ助の姿を見ると元気が出てくる。
辛い毎日だったが、少し安心することもあった。
一時的に止まっていた生理が半年後に戻ってきたのだ。
まだ妊娠できるかもしれない。
希望は考え方ひとつで見えてくる
4月にはパクリタキセルの投与がすべて終了した。
治療はまだ続くが、復職することにした。
職場の理解もあり、深夜の勤務は免除された。
だが、体力・筋力が落ちたため、1日働くだけで疲労がたまる。
前の生活に戻れたという感動もない。
さらに、竹條さんは常に孤独感を感じていた。
家族は優しく、職場の人たちも気遣ってくれる。
だが、周りには若くしてがんになった人はおらず、自身の気持ちを共有してくれる仲間はいなかった。
人と関わるほど、孤独感は増すばかり。
“彼氏もいないのに、不妊の不安なんて口にしたらいけない”
看護師に言われた言葉が、呪いのように竹篠さんを蝕む。
今はつらい想いを封じ込め、前に進むしかなかった。
2014年1月、最後の抗がん剤(ハーセプチン)治療が終了。
全ての治療を終えたが、不妊のリスクを考えると幸せな未来を描けなかった。
2016年の春に「あけぼの徳島若年性乳がんコミュニティ Sister」を立ち上げた。既に乳がん患者会はあったが、自分と同じ思いの人とつながりたい、出会いたいという気持ちから若手の会を作ったのだ。同年代のがん経験者と話せる機会が増えていった。
2017年2月、がん看護学の専門家・渡邊知映氏のセミナーがあると聞き参加すると、がんで子供がいなくとも、養子や子供のいる人と結婚することで、子供のいる家庭が作れると話していた。
この話を聞き、自分には色んな選択肢があるのだと気づいた。
心がパァッーと開けたような気持ちになる。
講義後のロールプレイでは、同年代のがん経験者や緩和ケア看護師、乳がん看護認定看護師と4人で組み、自分の中に閉じ込めていた想いを語った。
それまで誰にも言えなかった辛い想いを明かすと、長年胸にたまっていた重りが軽くなっていた。
今までは自分の殻にこもり、自分で自分を苦しめていた。
全てをあきらめ、誰かに伝える努力をしてこなかったのだと気づく。
これからは心を開いて生きていこう。
竹篠さんはこの日を境に大きく変わり始めた。
自らが運営する「あけぼの徳島若年性乳がんコミュニティ Sister」に、かつての主治医を参加者として招待すると、医師と患者ではなく、人として付き合いができるようになった。
今までのわだかまりが消えていくようだった。
積極的に自身の経験を話し、5月にはテレビ番組の取材を受けた。
かつての無気力だった竹篠さんはもういない。
今は、婚活やイベントにも積極的に参加するようになった。
多くの人と触れ合うたびに世界が広がっていく。
乳がんから6年。
「ただ単に、がんになっただけの人生にはなりたくない」
その言葉を胸に、竹篠さんは新しい毎日を過ごしている。

竹條うてなさんの詳しい「がん闘病記」、及び「インタビュー記事」はウェブサイト『ミリオンズライフ』に掲載されています。ぜひ、読んでみてください。