浸潤性の乳がん(ステージ2b) 息子達のために闘った母

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体験談のあらすじ

埼玉県在住の関根亜希子さん(2014年当時39歳)は、障害者の職業あっせんの仕事をしていた。2014年に右胸と右わきにしこりができ、浸潤性の乳がん、いわいるトリプルネガティブと診断された。抗がん剤治療を行うとしこりが小さくなり、全摘ではなく部分切除も可能だったが、リスクを考え全摘を選んだ。手術で右胸をなくしたが、職場復帰も果たし、やりたいことをする日々を味わっている。

本編

二つ目のしこり

埼玉県在住の関根亜希子さん(取材当時41歳、2014年当時39歳)は、社会福祉法人で障害者の職業あっせんの仕事をしていた。
2014年9月に、自治体から乳がんの検診の知らせが届き、年齢のことを考え、受診することにした。

1ヵ月後に「問題なし」の報告が届き安心したが、半年後の2015年3月、右の胸にうずらの卵ぐらいの柔らかいしこりを見つけた。
婦人科でマンモグラフィー検査と超音波検査を受けたところ、「繊維質のかたまり」と診断され、様子を見ることに。
医師から「(悪い)病気ではない」と言われ、ホッとしていた。

ところが、3ヶ月後の6月、今度は右側のわきの下に3cm程のしこりをみつけた。
2つ目のしこりで正直、ぞっとした。

わきの下のしこりは乳がん転移の可能性があるため、急いで病院に向かった。
検診で問題ないと言われていたが、以前検診した時とはしこりの形が変わっていたので、生検して病理検査をすることに。

1週間後の結果報告の日。
夫は忙しいということで、関根さんは1人で結果を聞きに行くことに。

診察室に入ると、担当医が驚いたように「え? ひとりで来ちゃったの?」と言った。
その瞬間、凍りついた。
「きっと、がんだといわれる……。入院するのかな……? 仕事どうしよう……?」

主治医から、がんの可能性が高いと伝えられた瞬間、頭の中が真っ白になって、何も考えられなくなった。
主治医は関根さんを気づかって優しく対応してくれたが、あまりの衝撃で現実を受け止められない。
死の恐怖ではなく、これからの生活の方が怖かった。

家に戻ってからも、関根さんは心の整理がつかず、息子2人の顔をまともに見ることもできなかった。
ただひたすら、必死に母としての仕事をこなした。

深夜に夫が帰宅した。
関根さんは謝ることしかできなかった。
夫は謝ることはないと強くいう。
その夜は2人で、ただ泣くばかりだった。

孤独に耐えた抗がん剤治療

2015年7月9日、夫と一緒に詳しい検査結果を聞いた。
関根さんは、ステージ2bの浸潤性の乳がんで、いわいる〝トリプルネガティブ″だった。

トリプルネガティブとは、エストロゲン受容体、プロゲステロン受容体、HER2の3つが腫瘍細胞に発現していない乳がんで、ホルモン療法が効かないタイプのがんだ。
しこりが3㎝×4㎝と大きいので、抗がん剤を使ってがん病巣を小さくし、手術で取り除くことになる。

医師にどの病院に行きたいか聞かれたが、あまり詳しくないので近くの病院を選んだ。
患者にとって病院選びは難しい。
非日常の世界で何をどう決めていけばいいのか解らないことだらけだった。

両家の両親にも伝えた。
実母は幼い息子たちの世話を手伝ってくれると申し出てくれ、有難かったが、親不孝の娘だと思うと涙が止まらなかった。

義理の母にがん専門のがん研有明病院を進められ、距離はあるが、紹介状を書いてもらうことにした。

8月17日、がん研有明病院の初診の日。
初日からいきなりいわれたのは、マンモグラフィー検査、超音波検査、血液検査、骨シンチグラフィー検査、生検、MRIなどの検査を、再度行うということだった。

しかし、再度の検査後も結果は変わらなかった。
進行ステージ2b。さらに、がん転移が脇下に確認されたとのことだった。
完全に治るかどうか不安だった。

息子たちにどう説明すれば良いか悩み、がん支援センターの看護師に相談をした。
看護師は対応に慣れていて、子どもの年齢ごとに絵本を紹介してくれた。
「おかあさんが、がんになった」という類の絵本で、ママに何が起きているのかを説明する本を勧められた。
この絵本から、抗がん剤で髪が抜けるなど、患者の状況を分かりやすく知ることができそうだった。

8月末、1つ目の抗がん剤治療、CEF療法が始まった。
1日目に外来で抗がん剤(シクロホスファミドエピルビシンフルオロウラシル)を点滴で入れ、残りの20日間を回復期に充てる3週間を1クールとし、合計4クール行う。
最初の1週間は身体的につらいが、2週目、3週目は薬が抜けていくので楽になる。

副作用で髪の毛を失い、やがて乳房も失う。
「なんでこんなことになってしまったのか…」
そんな気持ちが湧き、心に余裕がなくなってきた。

今までは、仕事や結婚、出産と順風満帆な人生だった。
仕事にやりがいを感じ、人と関わることが好きだったが、今では人に会うこともなくなった。
もはや自分の価値すら見出せない。

CEF療法を終えた後は、抗がん剤(ドセタキセル)に替わった。(https://www.ncc.go.jp/jp/ncch/division/pharmacy/pamph/2_docetaxel.pdf
これも、1クール3週間を合計4クール行うことになった。
厳しい副作用、患者というつらい立場、元の仕事に戻りたい気持ち……。
いろいろなことが頭を巡っていたが、耐えに耐え、無事すべての抗がん剤治療を終えた。
すでに2016年1月になっていた。

全摘か、部分切除か 涙の選択

抗がん剤により、わきの下にあったしこりは消え、右胸のしこりも小さくなった。
担当医からは部分切除でも大丈夫だと言われたが、再発の可能性を考えると怖かった。
部分切除であっても、関根さんの場合は切除する範囲が広く、乳房の同時再建はできないため、胸の形も崩れる。その上、再発のリスクも高いだろう。
胸の全摘にするか、部分切除か、担当医に報告するギリギリまで悩んだ。

「全摘でお願いします」
そう伝えながら、涙がこぼれた。

3月7日、手術のために入院した。
メスで切られることも恐ろしかったが、おっぱいが無くなるのが辛くてたまらなかった。

手術は4時間かかり無事に終わった。
右胸はなにか熱を帯びているように熱くて重かった。

手術後、夫と一緒に傷を見た。
右胸はペタンコだった。
夫が「(傷は)すごくきれいだよ」と言ってくれたおかげか、ホッとして急にお腹がすいた。
ショックなのは変わらないが、やっと日常に戻れる気がした。

胸のドレーンはなかなか抜けなかったが、入院中、乳がんの仲間ができた。
通院で抗がん剤治療を受けていたときは誰も自分のことを理解してくれないと孤独に感じていたが、同じ経験をした同士と話すと孤独感がなくなっていった。
とても救われたし、気持ちが楽になった。
関根さんにとって、これが大きな転機となり、気力と働く意欲が戻ってきた。

手術を終え退院すると、放射線治療が始まった。
1回2~3分放射線を患部に当て、1週間に5日間、5週間行った。

毎朝、息子たちを学校・保育園に送り出し、病院に向かう。そして、放射線治療を終えて自宅に戻るという生活を毎日淡々と繰り返す。

5週間、計25回の放射線治療が終わり、すべての乳がん治療が終了した。

右胸を失って気づいたこと

関根さんは、早く社会とつながりを持ちたかった。
自分の役割が欲しかったからだ。

しかし、職場復帰をしても、会社はがんの再発を懸念し、事務仕事を任された。
2、3年様子を見て判断するといわれたが、以前の相談業務に執着心があった関根さんは、高齢者施設で社会福祉士として相談業務ができる仕事に転職し、好きな仕事ができるようになった。

今、2年間を振り返ると、“胸”がすべてだったように感じる。
どうしても胸を守りたくて、それがかえって自分をつらい気持ちにした。

しかし、右胸がないからといって仕事ができないわけではない、と気づくことができた。
確かに胸を失ったことはつらいが、再び手術を受けてまで乳房の再建をすべきか、疑問に感じるようになった。

今はやりたいことがいろいろあって、守りたいこと、こだわりたいことを天秤にかけて前に進んでいる。
もう立ち止まりたくないのだ。

春になると息子たちは小学3年生と年長児童に進級する。

がん治療が終わって1年の節目を無事に迎え、20年ぶりに家族でスキーに行くこともできた。
80歳を一生とすると、今41歳だから、あと39回も冬が来て、スキーができる。
元気いっぱいの毎日が戻ってきている。

関根亜希子さんの詳しい「がん闘病記」、及び「インタビュー記事」はウェブサイト『ミリオンズライフ』に掲載されています。ぜひ、読んでみてください。

plus
大久保 淳一(取材・編集担当)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイトの編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト「5years.org」を運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。

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