悪性リンパ腫(ステージ4)死の淵からの生還

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体験談のあらすじ

ウエスト周りが大きくなってきたことがきっかけで、体の異常に気がついた山本めぐみさん。近所のクリニック受診の後、大学病院でさまざまな検査と2度の生検を受けた。病名がはっきりしたのは、最初のクリニックを訪れてから40日後。診断が下るのを待つ間、体調はどんどん悪化。ようやく山本さんの抗がん剤治療はスタートした。

本編

何気ない体の異変が……

石川県金沢市在住の山本めぐみさん(取材時43歳、2015年当時41歳)は、もともと便秘がちな体質だったこともあり、普段からお腹に「の」の字を描くマッサージをするのが習慣だった。家でもテレビを見ながら、無意識に「の」の字マッサージをしている。

ある時、勤務先の会計事務所の制服のウエストがきつくなったと感じたので、太ったかなと思いダイエットを始めた。
すぐに3キロほどの減量に成功したが、制服のウエストはきついままだった。

不審に思い、ネット検索をすると、「卵巣や子宮が腫れるとウエスト周りが太る」と書いてあるサイトを見つけた。
しかし、山本さんには2歳の息子もいて、フルタイムで仕事もしている。もちろん家事もほとんど山本さんがしている。そんな忙しい日々のなか、病院に行く時間なんて、とてもない。症状もたいしたことないし、とそのままにしていた。

2015年6月5日、左耳の後ろに小さなボコボコとした塊があることに気づいた。
ウエストのことが気になっていたこともあり、次の日、近所の婦人科クリニックを訪ねてみることにした。クリニックでは、触診と超音波検査を受けた。
医師は「触って反発するものがあるが、子宮や卵巣から離れているので婦人科系の病気ではないと思う」と言って、金沢大学附属病院の消化器外科を紹介してくれた。

6月10日、山本さんは紹介状を持って、金沢大学附属病院を訪れた。
消化器外科ではCT画像検査を行った。医師は「個人的にはリンパ系の疾患だと思う」という。

翌日、午前中に胃の内視鏡検査、午後には大腸内視鏡検査を行ったが、異常はなかった。
消化器系の医師は婦人科での受診をすすめた。
最初のクリニックで言われた通り、婦人科の病気ではないのかもしれなかったが、念のためPET検査をすることになった。

悪性リンパ腫の疑い

病名の確定と始まった抗がん剤治療

6月22日。
結果を聞きに病院に行くと、看護師が近づいてきてこう言った。
「ただならぬことになっているので、いますぐ血液内科へ行ってください」
血液内科の医師は、PET画像を見てこう言った。「恐らく、悪性リンパ腫でしょう」
今度は生検をして組織の病理検査が必要だという。生検の予約のため、耳鼻科へ行くことに。

6月29日。
耳の後ろにできた腫瘤の組織を取り出すため、生検を受けた。
この頃は、腹部の腫れも一層大きくなり、まるで妊婦のように膨らんでいた。ごはんを食べるのもひと苦労で、一日中体がだるかった。

7月6日。
生検の結果を聞くために、母と義理の兄夫婦と一緒に受診した。
ところが、まだ病理組織が確定できないので、もう一回生検を行いたいと医師から言われた。
山本さんはがっかりした。
「病気がどんどん進行しているのに、いまだに病気が確定しないどころか、治療も始まらない。私は次の生検まで生きているのだろうか?」

7月10日。
いつものだるさに加えて呼吸が苦しくなり、急遽病院へ。
右の肺に胸水が溜まっていた。急速に悪化していたのだ。
あまりの息苦しさから横になって寝ることもできなかった。

7月13日。
入院して胸水1.1ℓを抜いた。症状の悪化は進んでいるが、病理が確定しないとどの抗がん剤を使えばいいのか特定できないのだと言われた。

一進一退の抗がん剤治療

R-CHOP療法が始まって1カ月が経った頃、山本さんの状態は落ち着き始めていた。
胸水と腹水の量も減っていた。
しかし、主治医からは「胸水と腹水が減っているから、抗がん剤が効いていないわけではないと思います。ただ、腫瘍が小さくなっていないので、抗がん剤が効いているとも言えません」そう伝えられた。

8月26日。
金沢大学付属病院を退院し、恵寿金沢病院に転院した。
ここでもR-CHOP療法が継続された。

9月に入り、それまで点滴を受けてきた首のCVカテーテルが抜かれた。
一時期の危険な状態からは少し遠ざかっている感じがした。
R-CHOP療法を3クールに入る頃、主治医からその後の治療について説明をされた。
4クール目以降の治療は3つの選択肢に分かれるという。
1つはR-CHOP療法を6クール行い、寛解すれば、その後はリツキサン維持療法。
2つ目は、寛解まで至らずに病巣が残ったり、大きくなる場合には、強化化学療法に変更。ただ、抗がん剤によって造血機能がダメージを受けるので、幹細胞を採取し、強化化学療法の後に幹細胞を戻す、幹細胞移植が必要となる。
3つ目は、開腹手術をして、腹部にあるリンパ腫がどの型であるかを調べる。
どれを選んだとしても、寛解に至らなければ、開腹手術の必要が出てくるというものだった。
聞けば聞くほど、大変な治療が待ち受けているという感じがした。

R-CHOP療法を4クールしたらPET検査を行い、その結果次第で、3つのうちのどれかにすることに。

思いがけぬ報せ

10月8日。
3日前に受けたPET検査の結果を聞く日となった。

「寛解になっていました」
医師から、こう聞かされた。
信じられない気持ちだった。
だが、画像に目をやると、明らかに腫瘍の影が消えていた。

今後の治療は、医師の勧めで、R-CHOP療法を6クールまで続けるということになった。
11月中旬、最後の6クール目を終えた。
「神様が治してくれたんだ……。神様ありがとう」
素直に嬉しかった。

年があけた、2016年1月22日。
山本さんは午前だけの半日勤務だが、職場に復帰した。
約7カ月ぶりの職場だった。

R-CHOP療法の後も、8週間に1度のリツキサンを投与する維持療法を受けていたが、2017年9月には、それも終えた。

当時2歳だった息子は4歳になった。
がん発症当時、母のいない子になってしまうのではないかと危惧したが、結果的にはそうならずにすんだ。
職場に復帰して、税理士になる夢も復活した。

子育ても仕事も忙しいママとして、山本さんは今日もかけがえのない日常を過ごしている。

山本めぐみさんの詳しい「がん闘病記」、及び「インタビュー記事」はウェブサイト『ミリオンズライフ』に掲載されています。ぜひ、読んでみてください。

plus
大久保 淳一(取材・編集担当)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイトの編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト「5years.org」を運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。

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