子宮体がん(ステージ2b)

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体験談のあらすじ

定期検診で子宮体がんが見つかった谷口薫さん。しかし、担当医師から詳細な説明もされないまま、子宮全摘の手術を迫られる。納得がいかず、別のクリニックにセカンドオピニオンに行ったが、そこでも医師からひどい対応を受け、再び失望。知人に勧められた病院で、ようやく納得できる説明を受けることができ、手術を受けた。がんは治ったものの合併症で再度入院、退院後の症状に悩まされるなどあったが、今では職場復帰を果たしている。

本編

がんの疑い

神奈川県横浜市在住の谷口薫さん(取材時51歳/2011年当時45歳)は、夫と息子の三人で暮らし、テレマーケティングの契約社員として働いていた。

あるとき、がん検診のチラシが目に入った。その頃、女性がんの早期発見の大切さについて啓蒙活動が盛んに行われていて、谷口さんも関心があったので検査を受けた。2007年のことだった。
子宮頸がんの軽度異形成C判定で定期観察が必要と言われたが、念のため、大きな病院で診てもらうと問題はないとのことだった。

その後も子宮頸がんの検査は定期的に続けたが、不正出血があり、2011年8月11日に総合病院で内診と細胞診(生検)を行うことにした。
あまりの痛さで生検そのものができない人がいるというが、谷口さんにとってもそれまで体験したことのない痛みだった。

8月31日、検査結果を聞きに総合病院を訪れたところ、子宮頸がんは問題ないが、子宮体がんの疑いがあり、再検査が必要だと言われ、再度、生検をすることになる。

2週間後に病院へ行くと、異形内膜腺の密な増殖があり、類内膜腺がんの疑いがあると言われた。
大学病院で検査入院をし、全身麻酔で組織を取ることになった。
「結果を聞くだけのつもりだったのに、どういうことだろう……」
戸惑いを感じた。

不快ながん告知

翌週、大学病院へ行き、3度目の生検を行った。
今までで一番痛く、時間も倍以上かかった。
「この病院で精密検査して大丈夫なのだろうか」と不信感が芽生える。

生検を終えると担当医から驚くことを言われた。
「子宮体がんの初期です。子宮を全摘する必要があります。年齢と家族構成からみて、子供を産むことはないと思うので、全摘しても何も問題ありません。年内に全摘手術をしましょう。」

早口で、淡々とまくしたてられる。
「がん」や「子宮全摘」という言葉に対するショックというよりも、精密検査のために来たのにもかかわらず、いきなり全摘の話になることに納得がいかない。

「精密検査を受けたうえで考えたい」と伝えても、「精密検査より先に手術の予約をすべき」だと、担当医は手術の署名を求めるばかり。
なかなかサインをしない谷口さんに向かって、「温存する方はこれから出産したい人だ。全摘に何か問題ありますか」と決断を迫った。

谷口さんは、怒りで目の前が赤く染まった。
今回の生検の結果も出ていないのに「子宮全摘の予約」。
心の整理をする時間もなく、納得なんてできるはずがなかった。
医師と口論になり、CTMRIの予約を取って帰った。

その2週間後の9月28日に、外来に行くと、問題の医師は顔を合わせたとたん「がん、出ましたよ!」とがん告知をした。

「そんな、がん宣告ってある?」

がん患者に対して、思いやりに欠ける振る舞いだ。
しかも、全摘手術の予定も既に組んだという。

がんになったことの悲しみよりも、無神経な医師に対する怒りが湧く。
こんながん告知、到底、受け入れるなんて無理だ。

CTやMRI検査を行わずとも、生検でがんが見つかったので間違いないというが、それでも、精密検査をしていないのに、子宮全摘手術を決めたくない。
セカンドオピニオンを希望しても、「手術の予定にサインをしてから、精密検査を行えばいい」と言う。

「この医師とはまったく合わない」
谷口さんの怒りはなかなか収まらなかった。

セカンドオピニオンと医師との信頼関係

家族にがんのことを話すと、息子は早期に発見したことに安堵していた。
夫は病院に一緒に来て欲しいと頼んでも、妻の身体よりも仕事のほうが大切なように感じた。
だが、とにかく夫を説得して、病院に付き添ってもらった。

ところが、夫と一緒に病院に行っても、その医師は、予約が埋まってしまうことばかりを気にして、がんについての説明はまったくしてくれなかった。
「どうして子宮を全摘しなくてはならないのか? 他に治療法はないのか?」
相談もさせてくれない医師に強い不安を感じた。

谷口さんは、家に帰ってからネット検索をし、自由診療で子宮を温存できる治療をしているクリニックを見つけた。
メールで相談すると「説明不足は、医師側に原因があります。全摘は様々な問題を引き起こし、支障をきたすので気軽に摘出してよい臓器はありません」と丁寧に説明してくれた。

ようやく、話ができると希望を持った谷口さんは、10月26日にそのクリニックでセカンドオピニオンの予約をした。

ところが、クリニックを訪れると医師は険しい顔をしており、「なぜ、セカンドオピニオンに来た?」と言う。そして、「セカンドオピニオンなら違う病院に行け」と追い出された。
呆気にとられ、思考が止まる。
初診代金8千円を請求され、見解書ももらえない。
納得できず、問い詰めると、「自分の状況がわかっていない。早く手術しないと死ぬよ。手術後オムツは覚悟だからね!」と罵声を浴びせられた。

恐らく、セカンドオピニオンでは高額の自由診療に持ち込めないため、不快な対応をしたのだろう。
丁寧なメールも、自由診療に呼び込む手段のひとつだったわけだ。

がんの時、医師との関係に悩むことが一番つらい。
医師の言葉は、患者の心を深く傷つける。
大学病院も、配慮は一切見せてくれず、ひたすら決断を迫るばかり。

精密検査もセカンドオピニオンもできない。
手順を踏まないと心の整理がつかないのに、夫でさえも「早く手術をしたらいい」という。

自分のことを理解してくれる人がいない谷口さんは心底、孤独だった。

信頼できる医師と共にがんと闘う

そんなとき、加入している生命保険会社の担当者に「医師との関係を重視すべきですよ」と言われ、その人の紹介で、11月24日、東京医科歯科大学医学部附属病院 でセカンドオピニオンを受けることができた。

担当した医師は、丁寧に時間をかけて説明してくれた。
ただ、「単純広汎子宮全摘出+両側付属器摘出(開腹手術)」は必要という見解だった。
https://ganjoho.jp/public/cancer/corpus_uteri/treatment.html

ネットや本でも子宮体がんについて調べ、ようやく納得することができた。
全摘する必要性を知ったが、最初の大学病院では受けたくない。
手術が遅くなる可能性があっても、東京医科歯科大学医学部附属病院で受けたいと思い、早速、転院の準備をした。

2012年1月24日に、予想よりも早く、東京医科歯科大学医学部附属病院で手術を受けられることになった。

がんに対する悲壮感というよりも、ともかく治療を無事に終え、元の生活に戻りたい。それだけだった。

改めて東京医科歯科大学での診断は、「子宮体がんステージ2b、類内膜腺がん、頸部浸潤あり」だった。
がんは進行していたが、手術は予定通り行う。

1月24日、手術は無事に終わったが、身体の自由が利かず、痛みは一晩中続いた。
手術がこんなにも大変だとは思わなかった。

その後順調に回復し、1週間後に退院したが、翌月に出た病理検査の結果が思わしくなかった。
浸潤が広範囲にあるため、リンパ節郭清手術を行う必要があるという。
リンパ節にがんがあれば、今度は抗がん剤治療が必要となる。

元の生活に戻れると思ったのに、奈落に突き落とされたようだった。

2回目の手術が予定されたことで、派遣の仕事の更新は難しくなったので、退職せざるを得なくなった。

二度目の手術は4月17日。がんの転移は見つからなかった。
抗がん剤を使わずに、日常に戻ることができそうだ。
ようやく、ほっと息をつくことができた。

ところが、3週間後に検査をすると、腹部に2センチのリンパのう胞があることがわかった。

その1週間後に激しい腹痛が谷口さんを襲った。
救急車で近所の病院に行ったが、詳しく調べることはできず、翌日病院に行くと、なんとリンパのう胞は8センチにまで肥大していた。

リンパのう胞の肥大は、前回の後腹膜リンパ節郭清手術による合併症だった。
入院して、リンパ液がたまらなくなるまで出し続けるしかない。
しかし、先が見えない入院生活は、最初の手術の時よりもつらかった。

生き生きとした自分に戻るために

退院後もなかなか日常に戻れなかった。
平均感覚がとれず、横になっても天井が回転しているように感じた。

しかし、嘆いていても仕方がないと、ハローワークで仕事を探した。
9月に入ってようやく、短期の仕事が見つかった。
週2回の事務の仕事だが、谷口さんは働けることが嬉しかった。

仕事を始めたら、めまいも少しずつ改善し、日常を取り戻せる感じがした。

その後も何回か短期の仕事を行った。
やりがいのある安定した仕事をしたいと探し続けたところ、ある病院のテレワークの求人を見つけた。
過去にその病院で人間ドックを受診した患者に、今年の予約を促す仕事だった。

この病院では初めての試みで、谷口さん一人に任された。
病院側は、あまり期待していなかったようだが、谷口さんの頑張りによって、予約がどんどん増えた。
かつてのテレマーケティングのノウハウを存分に使うことができて、嬉しかった。
十分な成果を上げることができ、谷口さんの契約も延長された。

一時は人生のどん底を経験したが、今では実力を発揮できる仕事を見つけられたと感じている。

谷口薫さんの詳しい「がん闘病記」、及び「インタビュー記事」はウェブサイト『ミリオンズライフ』に掲載されています。ぜひ、読んでみてください。

plus
大久保 淳一(取材・編集担当)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイトの編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト「5years.org」を運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。

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