乳がん(ステージ2)手術と再建手術を乗り越えて

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体験談のあらすじ

働き盛りの42歳の時に乳がんの宣告を受けた阿部久美子さん。医師から乳房の全摘を勧められ、医療と美容のはざまで心が揺らぐ。迷走した挙句、転院し、手術を受け、乳房再建も受ける。しかし、現実は厳しく打ちのめされる。がんという人生のどん底からファイナンシャルプラナーとして復帰する感動のがん闘病記。

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本編

「あの時の電話は久美子のことだったの?!ごめんね、気が付かなくて。(がんは)私が代わってあげたいよ…」
母親にそう言われ一緒に泣いた。
前月、母親に電話で相談したとき、自分じゃなくて知人のがんのことのように言ってしまったことを後悔した。

キャリアチェンジ

長年、パソコンの指導員の仕事をしていた神奈川県大和市在住の阿部久美子さん(44歳、2006年当時33歳)は、2006年に一念発起して生命保険会社に転職。
今後のことを考えてキャリア・チェンジした。

担当した仕事はファイナンシャル・プランナー(FP)部門でのコンサルティング。
保険商品とともにお客様に相談・アドバイスをする仕事だ。
入社して3年が経った2009年(36歳)、健康診断を専門的に請け負うクリニックで、乳がん検診(マンモグラフィー、超音波検査な)を受診。

そして医師からこう言われる。
「画像を観ると乳腺の密度が高いです。まぁ、大丈夫です。今後は経過を診ていきましょう」

“乳腺の密度が高い”正直、その意味がよく解らなかった。

一方の仕事はと言うと、入社当時の不安はよそに仕事は充実し、どんどん忙しくなる。
個人の業績も上がり、会社でトップアドバイザーにまで上り詰めていたが大変さを感じだした。

疲れすぎの毎日

多忙な毎日が7年間続いた。
やがて、昼間、まぶしくて太陽の光を見られなくなる。
2012年の夏から暫くは休みがちの生活になり心身ともに疲弊していた。

独立する

2013年6月、40歳になったのを機に会社を退職し、個人のFPとして独立。
その後、順調に2年間が過ぎ、2015年には再び多忙な生活に戻っていた。

疲れてはいたが、会社からやらされている仕事ではないので、精神的にはつらくない。
ただし、独立すると「会社の健康診断」と言うものがないから、「いつか(検診に)行かなくちゃ」と思いつつ毎日が過ぎていく。

2015年11月26日、仕事から帰宅し、着替えようとして胸に触れたら右の乳房の上にパチンコ玉くらいの固いしこりがあった。
この時、とっさに思った。
「やばい…、乳がんだ」

慌ててクリニックに行き検査を受けると医師にこう言われた。
「しこりがありますね。良性か、悪性かは半々の確率だと思います。もっと設備の整った病院で診て欲しいので紹介状を書きます」
大きな病院を紹介された。

医療か、美容か

この頃からだった。
自分の胸にメスを入れるのが怖くなる。
できれば、サプリメントとか、身体に負担なくがんが消える治療方法がないか調べ出す。

2015年12月11日 病院・乳腺外科。
マンモグラフィーと超音波検査の後、女性の主治医と今後の方針のことで言い合いになってしまう。
生検をして、がんの確定診断を行いたいとする医師。
一方、胸に針なんか刺したらがん細胞が飛び散ってしまうのではないかと恐れる阿部さん。
二人とも平行線だった。

それから、阿部さんは、いわゆる民間療法を試した。
美容と治療のはざまで気持ちが揺れ動き、なんとか身体に負担なく終わらせる術がないか試していた。

一方、友人は「ちゃんと標準治療をやろうよ」と諭(さと)す。
高額の治療費、お金がどんどん減り、やがて民間療法に対して疑問を抱き、深みにはまらずに済んだ。

家族

年が押し迫った2015年12月31日、大晦日の日。
阿部さんは、実家に帰り両親に切り出す。

「ちょっと話があるんだけど…、実はわたし乳がんなの。年明けにMRI検査を受けるし、細胞診も受けるかもしれない…」
そのとたん両親は混乱。
父親は動揺し、母親は泣きだした。
大晦日の夜、阿部さんと母親の涙は止まらなかった。

1月20日、主治医の診察室に行くとこう言われる。
「残念ながら、やはり、がんでした。ホルモン受容体・陽性、HER2・陰性タイプ(ルミナルA)です。化学療法は必要ありませんが、手術のあと、ホルモン療法を10年間行います」
今後の治療方針について説明を受けた。

相変わらず、胸にメスを入れるのは恐い。
乳房の部分摘出なのか、全摘なのか?再建についてはどうするのか?主治医との関係は上手くいっていない。
悩んだ挙句、別の病院、聖マリアンナ医科大学病院・乳腺外科を受診。
男性医師は詳しくゆっくりと解説し、納得できる説明をした。
話しているうちに、自然と打ち解け、こう言っていた。

「先生、私、手術を受けたいです。悪いものは全部取り除いて下さい」
これで前に進める、そう感じた。

1回目の外科手術

予定されたオペは、乳腺悪性腫瘍手術(乳頭乳輪温存乳房切除術)とエキスパンダーを右胸に入れる組織拡張器による乳房再建手術。
手術は4月1日に行われ、5時間かかった。
回復室に移り麻酔が切れて、強い吐き気がした。
まず気になったのは右胸のこと。
見て確かめることは出来なかったが、感覚は最悪だった。
「なにこれ…、鉄板みたいのが入っている。こんなに硬くて重いのが胸に入ってる」
そんな感じだった。

しかし、手術から数日後、主治医に促され自分の胸をみた。
すると…、
「あっ、オッパイがある。よかった…、手術は成功したんだ」
外見的には部分切除したとは思えないような丁寧なオペで本当に嬉しかった。
退院後は、5月よりホルモン療法。
3ヵ月に1回「リュープリン」注射を受け、「タモキシフェン」を毎日1錠服用するものだった。
タモキシフェンについては翌年の1月まで、リュープリン注射は2017年6月までで終了した。

2度目の手術

翌年、2017年1月5日、遊離皮弁術(乳房再建術)を受けた。
14時間近くかかった。
処置室で目が覚めたが悪寒がして、気持ち悪く吐いてしまう。
やがて身体が熱を帯びていて暑い。
かなりの発熱だったはずだ。
組織を切り取った腹部は焼けるように痛く、喉が息苦しい。
想像していた術後とは大違いで、重い病気にかかったかのように心身辛く苦しい状態だった。

「乳房再建の手術って、こんなに大変だったの?!」
こんなに大変なオペだとは思いもしなかった。

前年4月のがん手術以降、順調に回復していた阿部さんは、乳房再建術で振出しに戻ってしまい、がんになった自分を責め続けた。
みたび、どん底から這い上がっていくことになる。

かつての自分を取り戻す

手術直後、ひどい体調不良になり、一時はどうなるかと思ったが、その後、ゆっくりと回復し歩行器をつかって歩けるまでになった。
退院後、1ヵ月間は自分のアパートで自宅療養に充てた。

2月中旬から少しずつ仕事を再開。
体力と筋力を失っていたのでお客さんと会うことはまだできない。
だから、電話とメールで仕事をした。
そんなつらい頃、「応援しているよ」とお客さんから言われ、優しい言葉が心に沁みた。
独立したファイナンシャル・プランナーだからお客さんから良い評価が欲しくて、どんな状況でも頑張って働くのが美学だと思っていた。
しかし今、体調がよくないときに無理なんてしちゃいけないと思えるようになった。

2017年4月、がん摘出の手術から1年が経過。
時間が経つにつれ、また、できることが増えていく。
最初は腕が中々上がらなかったが、仕事で使う車の運転もできるようになった。
電車にも乗れるし、立ってつり革につかまることもできる。

そして今年8月、週に5日間も働けるまでに回復した。

どんどん、かつての自分を取り戻している。

1回目の「ゼロからスタート」は、退職して独立したとき、2回目は乳がんの手術を受けたあと。
そして、3回目は乳房再建手術を受けた2017年1月。
打ちのめされるたびに這い上がって、再び生活を取り戻してきた。
そして都度、大切な何かをもらい受けてきた気がする。

家族、友人、お客さんたち、会社の人、そして彼氏、感謝してもしきれない人たちに囲まれ、自分の仕事をさせてもらえることのありがたさをかみしめる。

不思議なもので、新たに知り合うお客さんに自己紹介する際、がんを患ったことを明かすと、相手の人が心を開いてくれて話が弾むことがある。
そんな“心から出る言葉”でFPの営業が出来るようになったと思うと嬉しい。

かつては営業成績とか数字を大切に思い、実績を追いかけがちな自分がいた。
しかし今、本質的な価値とはそう言うものではないと感じていている。
人生の本質を理解し、豊かな人生を目指す。
新たなスタートをきった。


監修医師よりコメント


高橋 秀明


プロフィールへ
当初、民間療法を試された阿部さんですが、医師の感覚からすると、勇気をもって、標準治療を受けることが一番だと思います。
ご友人が、標準治療を勧めてくださり、また、丁寧に説明してくださる先生に出会われたことで、理解が深まり標準的な治療に納得されたのでしょうね。
民間療法の中には、その効果が科学的に示されているものはありません。もし、いま治療中の方で、がんのために他になにかをお考えになる場合には、必ず担当の先生にご相談ください。
術後、腕が上がりにくいなどの生活への影響もありながら、少しづつファイナンシャルプランナーとしての生活を取り戻された阿部さん。がんという経験のなかで周りの人々への思いを新たにされ、仕事との向き合い方が少し変わられたのですね。
新たなスタート。
がんを患ったことのない私でも、勇気づけられます。もし、何かあっても、いつでも、再スタートできる。阿部さんの生きざまから、そんな勇気をもらいました。

阿部久美子 さんの詳しい「がん闘病記」、及び「インタビュー記事」はウェブサイト『ミリオンズライフ』に掲載されています。ぜひ、読んでみてください。

plus
大久保 淳一(取材・編集担当)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイトの編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト「5years.org」を運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。

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