大腸がん(ステージ4)からのフリーランス復帰

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体験談のあらすじ

カルチャースクールの講師、執筆とフリーランサーとして活躍していた岩井ますみさんに大腸がん(下行結腸がん、進行ステージ4)が襲う。手術の後、転移が見つかり、抗がん剤治療、2度目の手術、再び抗がん剤治療という3年半。44歳にして人生のどん底を経験し、そこから生活を取り戻していく働き盛りのがん闘病・社会復帰記。

本編

「がんが肝臓に転移しています」
強烈な衝撃だった。
せっかく復職できたのに、また仕事をキャンセルすることになる。
言葉にならなかった。

便潜血・陽性+

会社勤めを辞めフリーランスとして独立した千葉県市川市在住の岩井ますみさん(53歳、2007年当時43歳)は健康に人一倍、気を付けてきた。
なぜなら代役の人がいない仕事ばかりだからだ。

2008年、44歳の年。
健康診断の結果、「便潜血・陽性+」。
サンプル2つとも陽性だった。

気になった岩井さんは大腸内視鏡検査のため、2008年11月下旬、大野中央病院を訪れる。
2時間かけ、下剤を飲み干し、腸内を空っぽにして検査台の上で横になった。
そして検査開始。
すると内視鏡を操っている医師が「あっ…」という。
驚いた感じの声だった。
それからは医師も看護師も慌ただしく動き回り騒然としてくる。
「〇〇を持って来て!」、「ここをマーカーで…」、「いまからピンで留めるから」
さっきまで静かだった検査室がドタバタになった。

がん告知

2時間後…。
既に夕方を過ぎていた。
呼ばれて診察室に入ると担当医からこう言われる。

「たぶんお解りだと思いますが、良い状態ではありません。今日取った組織の検査結果が1週間後に出るので、また来てください。手術を受ける必要がありますが、どこの病院で受けたいか次回までに決めておいてください」

生検の結果はまだ出ていないが、明らかにがんを前提とした説明。
会計を済ませ病院を出ると外は真っ暗。
11月下旬の寒い夜。
駐車場にはポツンと1台だけ岩井さんの車があった。
それを見たら急に恐さと悲しさが沸き起こってきた。
「両親にどうやって伝えよう…」

そして1週間後、進行性の大腸がん(=下行結腸がん)と告げられた。

不安の池

翌週、紹介先の順天堂大学医学部附属浦安病院を訪れた。
名前を呼ばれ診察室に入るとオールバックの髪型の男性医師が座っていた。
医師の説明によると、12月で年の瀬だが年内できる限り多くの検査を行い、腹腔鏡による手術は年明け(2009年)の1月中旬を目指すという。

クリスマスも、大晦日も、正月も何もない。

受けた仕事をキャンセルする連絡はもっとつらかった。
1月中旬の手術となると休んだ分のカルチャースクールの講師を3月末迄に補講をしなくてはならない。
しかし、いつ復帰できるか解らない。
4月になると新年度のコースが始まってしまうから時間がない。
仕事に真剣に向き合ってきた岩井さんは不安の池につき落とされた感じだった。

人生の軌道修正

2009年1月19日、順天堂大学医学部附属浦安病院
下行結腸の1/3を切除する手術が行われた。
約5時間のオペは家族が見守るなか無事終了し、2月10日に退院。
体調はまだ戻っていなかったが、日本色彩学会主催の『色彩教育用具』の学会発表の演壇に立った。
今後のキャリアのために講演した。

2009年3月。
休んだ2ヶ月分のカルチャースクールのクラスの補講を開始。
90分立ち続けの講義は、病み上がりの身体に堪えた。
たまっていた依頼原稿の執筆もこなす。
ゆっくりしている時間はないし悲しみに暮れている暇はない。
一刻も早く人生の軌道を修正したいとがんばった。

強い衝撃

夏が終わり…、10月。
3ヶ月毎の経過観察で病院を訪れた。
するとこの日、診察室に入ると担当医が渋い表情で座っている。
「腫瘍マーカーの値が高いから、転移があるかもしれないです。精密検査をしましょう」
がんの転移の可能性、その瞬間、ぞっとした。

それからの岩井さんは再び検査だらけの毎日となる。
すでに10月からの新しい仕事が始まっているというのに重たい雰囲気になった。
そして1週間後、診察室で担当医からこう告げられる。
「(がんが)肝臓に転移しています。抗がん剤治療を始めましょう」

あまりの強い衝撃に言葉にならなかった。
「せっかく、もとの生活に戻したのに…。また仕事をキャンセルし断るのか。これじゃ二度と同じところには戻れなくなる」

フリーランスの世界は厳しい。
がんにより生活を奪われ、手術後、一生懸命に取り戻してきた生活が、再びがんで奪われてしまう。
我慢をしていた涙がこぼれた。
今まで生きてきた中でこれほどの喪失感は無かった。

抗がん剤治療

自宅に戻りがん転移のことを両親に明かした。
父親は「俺が代わってあげたいよ…」とまるで取り乱すかのようだった。
娘を想う年老いた父親。
岩井さんは、自分はなんて親不孝な娘なんだと自分を責めてしまう。

2009年12月に始まったTS-1(抗がん剤)治療は、翌年2010年の10月まで続いた。
検査の結果、肝臓にあるがんの位置を特定できたとして、10月中旬、手術に踏み切る。

肝臓の一部を切除し腫瘍を取り除くオペは無事に終了。
3週間後に退院したが、これから術後の抗がん剤治療が始まるという。
最初のがん発覚からすでに2年近くが経っていた。
長期間に及ぶ治療となってきたため、この頃は前向きな気持ちがぐっと落ちていた。

担当医によると、次は別の薬(エルプラットゼローダ)を使うゼロックス療法を始めるという。
岩井さんが仕事を再開して良いかどうか確認するとこう返された。
「う~ん、この治療をしている間は(副作用が強いから)仕方がないね。仕事は難しいと思いますよ」

我慢比べのような抗がん剤治療の日々。
翌2011年8月まで続き、その後、ゼローダのみを服用する治療が2011年10月から開始。
翌年2012年5月まで続いた。
振り返り、これほど長期間に及ぶがん治療になるとは思いもしなかった。
2008年秋にがんの告知をうけてからすでに3年半という時間が経っていた。
この間、ストレスからうつ症状が出たこともある。

岩井さんは1日も早く元の生活を取り戻したくて体調が悪いなか仕事をこなすときもあった。

途方に暮れる

長期に及んだ術後抗がん剤治療を終えた岩井さんは、何とも言えぬ解放感を味わった。
薬が身体から抜けていくに従い肉体的なつらさは減り、再び日常が戻ってくる
「やっと仕事に戻れる…」そんな喜びがある一方で「でも、何をしたらいいの?」そんな気持ちだった。
勤め人ならその会社、元の職場と帰れる場所がある。
しかし、フリーランサーの岩井さんには帰属する組織もなく、すぐに与えられる役目もない。
仕事の基盤をすべて失っていた。
貯金は一時の半分以下。
途方に暮れた。

大人のおしゃれレッスン

岩井さんは、これまで積み上げてきたキャリアと向き合った。
振り返るとこの20年間、地元の市川市から上り列車に乗り東京に通う生活だった。
これほど長くこの街に住んでいるのに、地元のことをよく知らないし、知り合いもいない。
市川市の魅力に未だ気づいていなかった。
だから地元で出来るスクールとか教室講師の仕事を通じて愛着のあるこの街に貢献したいと思い始める。

フリーランスとして独立した1993年以降、
色と香りの生活提案「イリデセンス(http://iridescence.jp/)」
を行ってきたが、がん治療後はその基盤を地元に据え「大人のおしゃれレッスン」という教室を開校。
教室のテーマは、自分のような闘病中の人も月に1回だけでもいいから、自分が輝く時間を持ってもらいたいというもの。

内容は大人のおしゃれレッスン(ビューティーカラーレッスン)とアロマテラピーの2本柱。
治療を終えた今の岩井さんには実にしっくりくる仕事なのだ。

一方がんを経験した者として、闘病中の自分に必要だった事と読みたかった情報を纏め、本として出版。
『働く女性のためのがん入院・治療生活便利帳』(講談社)
経験を形にしていった。

成長した自分

治療終了から5年がたったが、フリーランスの仕事量としては、がん発病前の状況には程遠い。
今後のキャリアについて悩む自分もいる。

しかし、もう一度新たなスタートを切ったんだと心を整理すると、がん治療終了後は、すべてが前年の成果を上回る。
頑張れば頑張るだけ成果が出ている。
精神的にたくましくなり、明らかに一段も二段も成長した自分に出会えている。
まだいろいろと大変だけど、前を向き「次」を楽しみに積極的になっている。

5yearsオフ会での様子

監修医師よりコメント


高橋 秀明


プロフィールへ
大腸がんは、消化管(食べ物の通り道)のがんの中では、抗がん剤が効きやすい種類になります。そして、肝転移や肺転移などがあっても適切に切除可能であれば外科的な切除が選択肢となります。また、転移が見つかった時には切除が困難だったとしても、抗がん剤で小さくなって切除が可能になることもあります。
岩井さんは、この大腸癌の診断と治療のさまざまな局面を乗り越えられましたが、フリーランスの仕事が継続できるかどうか強い不安と喪失感に直面されたのだと思います。ちなみに、ゼロックス療法中には、一律に皆さんが仕事が困難になるというわけではないと思います。副作用には個人差はありますし、治療期間中には仕事が困難な時期もあるかもしれませんが、状況をみながら仕事をどうするかは検討できると思います。
最後に、蛇足ですが、私も、岩井さんの「おしゃれ教室(スーツ講座)」を受けた方がよさそうです。受けてみたいですねー。

岩井ますみさんの詳しい「がん闘病記」、及び「インタビュー記事」はウェブサイト『ミリオンズライフ』に掲載されています。ぜひ、読んでみてください。

plus
大久保 淳一(取材・編集担当)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイトの編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト「5years.org」を運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。

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