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体験談のあらすじ
石川廣司さんは60歳のときに肝臓がんと診断された。詳しい検査で良性腫瘍とわかったが、4年後には肝臓がんに。さらには悪性リンパ腫も併発。肝臓がんの手術のあとは悪性リンパ腫の抗がん剤治療。それを乗り越えて平穏な日々と取り戻したが、肝臓がんの再発が見つかる。さらには悪性リンパ腫も再発。その後も何度か再発を繰り返す。それでもめげることなく前を向いて進んでいる。
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本編
C型肝炎の治療中に「肝臓にがんがある」と告げられる
東京都板橋区の石川廣司さん(取材時71歳 2010年当時64歳)は、1995年、48歳のときに「C型肝炎」と診断された。「C型肝炎はいつか肝臓がんになる」と聞いていたので、常に不安をもっていた。しかし、効果があると言われていたインターフェロンの治療は副作用も強いと聞いていたので、積極的な治療は受けずに、大好きなお酒を少し控えるくらいのことしかしなかった。
2006年、石川さんは60歳の定年の年を迎えた。満足できるサラリーマン生活だった。
退職したら体のケアをきちんとしようと決め、C型肝炎に治療に取り組むことにした。
日本大学医学部附属板橋病院の肝臓内科で診察を受けた。
エコー検査で思わぬことを言われた。
「あー、肝臓にがんがありますね」
いつかがんになるとは覚悟していたつもりだったが、実際に宣告されると愕然とする。
すぐにCT検査が行なわれた。
会社では、退職を控えて連日のように送別会が開かれた。ありがたかったが、心から盛り上がれない。
何を見ても「これが最後なんだろうな」と沈んでしまう。
ところが1週間後にCT検査の結果を聞きに行ったところ、50代の医師から「がんではないかもしれない」と言われる。
MRI画像検査が行なわれた。
結果は「良性腫瘍」、誤診だった。
それからはC型肝炎の治療に集中することにした。
晴れてがんの疑いから解放された石川さんは、映画を鑑賞し、旅行を楽しみ、パソコン教室に通うなど、定年後の生活を楽しんだ。
週に3回、気楽にできる仕事も見つかった。
C型肝炎も治療の成果が出て、改善していった。
自由で充実した毎日だった。
肝臓がんに加えて悪性リンパ腫も併発
2010年8月、血液検査の結果、ほとんどのデータが正常値になった。
主治医からも「石川さんの人生、10年間保証しますよ」とうれしい言葉をもらう。
ところが好事魔多し。翌月、半年ごとのMRI検査の結果を聞きに行ったときに、「あっ、肝臓にがんができていますよ」と思いもしないことを言われた。
今回は誤診ではなさそうだ。
しかし、4年前にがんの疑いがあると言われてからずいぶんと勉強をした。
がんだからと言って必ずしも死ぬことはないことも知ったので、ショックだったが冷静に受け止めることができた。
11月15日から検査のために2週間入院した。検査で新たな事実が判明する。うれしくない事実だった。「肝臓がんはステージ3。悪性リンパ腫の可能性もある」との診断を受けた。
肝臓がんに加えて悪性リンパ腫も併発しているかもしれないのだ。
肝臓にある腫瘍は4個。悪性リンパ腫は後回しにして、肝臓がんの治療から始めることになった。
「もう何でも来い! 人生には厳しいことがあるけれども、自分にはたまたま今がその時期なんだ」
覚悟を決めるしかない。
腹が座った。
妻にも報告した。
妻は妻で、自分が夫を支えるんだとスイッチが入ったようだった。
石川さんが結婚したのは41歳と遅かった。
ずっと独身でいいかと思っていたときに知り合って、とんとん拍子で結婚することになった。
結婚がきっかけで転職するなど、妻は石川さんの背中を押してくれる存在だった。
がんとの闘いでも、彼女がそばにいてくれることで、大きな勇気をもらうことができた。
2010年12月20日、12時間にも及ぶ長時間の手術を受けた。
右側のわきの下をU字型に50センチほどメスで切開し、肋骨を切り取って、がんを取り除いた。
目が覚めるとICU(集中治療室)にいた。
痛みがひどくて麻酔薬を使っても治まらない。
主治医から「手術は成功しました」と伝えられたが、痛くてつらくて喜ぶどころではなかった。
6日目には歩くことができた。10日目には退院。
しかし、手術のときに切除した組織の生研で、悪性リンパ腫を発症していることがはっきりとした。「B細胞非ホジキンリンパ腫。濾胞性」との診断だった。
https://ganjoho.jp/public/cancer/follicular_lymphoma/index.html
「神様はここまで過酷なことをするのか。ひどいじゃないか。肝臓がんだけでも生存率は低いのに、さらに血液のがんなんて」
呆然とする夫を見て、妻はどうしていいかわからない。
肝臓にがんが再発。ラジオ波焼灼術を受ける
2月から抗がん剤治療が始まった。リツキサンという抗がん剤を4クール。
副作用はきつかった。
39℃以上の熱が出て、悪寒でガタガタ震えた。
ナースコールのボタンに手を伸ばすこともできない。
しかし、きつい抗がん剤治療によって腫瘍マーカーは順調に下がり、4月に全4クールを終えたときには正常値になった。
これで悪性リンパ腫も大丈夫。
C型肝炎の治療が中途半端なまま終わっていたので、5月から治療を再開した。
「ペグインターフェロン」と「リバビリン」という薬剤を毎週1回、全部で48回注射すると言う。5回目でC型ウイルスが消えた。
2012年春、48回を打ち終えた。
これでC型肝炎も大丈夫だ。
石川さんはほっと胸をなで下ろした。
その後、平穏な日々が続いた。
朝はゆっくりと起きて新聞を読み、インターネットを見て、午後は妻と一緒に近くの公園を散歩した。
ゆったりとした贅沢な時間だった。
きつい治療に耐えたご褒美だと思った。
ところが再び荒波が石川さんを襲う。
2013年2月。CT画像を見ていた主治医から「肝臓がんが再発しています。
手術をしましょう」と告げられた。言葉が出なかった。
2年前のつらい治療が脳裏に甦った。
「あの手術だけは嫌だ」
心が必死に抵抗していた。手術に耐えられる自信がなかった。
ほかに方法はないのだろうか。
これまでに蓄積した知識を総動員して、違う道を模索した。
「ラジオ波焼灼術はどうでしょう?」
これなら手術よりも体への負担は少ないはずだ。
しかし、主治医は首を横に振る。
それだと焼き残しが出るので根治治療にはならないと言うのだ。
さんざん迷った末、順天堂大学医学部付属病院練馬病院の消化器内科を訪ねた。
そこにはラジオ波焼灼術のパイオニアの医師がいるとネットで知ったからだ。
妻も付き添ってくれた。
手術だけは避けたかった。
50代のやさしそうな医師で、好感がもてた。説明もわかりやすい。
この先生にお願しよう、石川さんはそう決めた。
4月8日に入院し、20分ほどの治療を受けた。
手術よりもはるかに楽だった。
とりあえずがんはなくなった。これで平穏な日々を取り戻すことができる。
ところがほっとしたのも束の間。
ここから次々と困難が襲い掛かってくる。心が折れそうになる。妻に支えられ、がんばって立ち上がる。
するとまた次の試練が……。
度重なる再発を乗り越えて
2015年4月
経過観察で病院を訪ねたところ、悪性リンパ腫が再発していることを告げられた。
下腹部にがんが見つかったのだ。
せっかく肝臓がんの再発の治療が終わったのに、と唖然とした。しかし、落ち込んでいる暇はない。
とにかく治療だ。
抗がん剤治療が始まった。
13日間入院して全身化学療法(リツキサン、ベンダムスチン)を受けた。
それからは通院治療。
4週間で1クール。
6クールで終わる。
治療の間、定期的な検査を受けて肝臓がんの経過も見ていた。
夏にはCT検査を受けた。悪性リンパ腫の全身化学療法が終わる9月。
消化器内科を受診したときのことだった。
主治医から告げられた。
「肝臓にがんが再発しています」
何と言うことだ。悪性リンパ腫の治療が終わったばかりだと言うのに。
妻も「また、ですか……」と肩を落とした。
10月13日に入院。
2回目、3回目のラジオ波焼灼術を受けた。
3回目が行なわれたのは、2回目でうまく焼き切れなかったからだと説明を受けた。
退院して元の生活に戻った。
しかし、これからもまた再発するかもしれない。複雑な心境だった。
不安だった。それでも前へ進んでいかないといけない。
石川さんはこう思うことにした。
「いつ病気が出るかわからないのだから、今、元気なうちに楽しいこと、やりたいことをやろう」
2016年から2017年にかけては、石川さんにとってさらなる試練の年となった。
2016年の秋には肝臓がんの3回目の再発。
11月から2週間入院して肝動脈化学塞栓術という治療のあと、翌月には4回目のラジオ波焼灼術を受けた。
2017年秋には4回目の肝臓がんの再発と2回目の悪性リンパ腫の再発。
「同時再発」というらしい。10月から2度目の肝動脈化学塞栓術。
11月から悪性リンパ腫の抗がん剤治療としてR-CHOP療法が始まった。
2018年4月19日に治療は終わった。
しかし、ほっとする間もなく、次が始まる。
4日後に肝臓がんの再発が見つかった。
ただ、まだ小さいのですぐに治療をする必要はないと言われた。
肝臓がんを6回(再発5回)、悪性リンパ腫を3回(再発2回)。
こんな人はめったにいないだろう。
だれもがびっくりする。
新聞記者に取材された。記者は、さぞかし元気がなくて痩せこけている人だろうと想像してきたようだ。
でも、実際の石川さんは、明るく元気で悲壮感もなくあっけらかんとがん体験を語る。
「どうしてそんなにお元気そうなのですか」と驚いていた。
石川さんは「禍福は糾える縄の如し」という言葉が大好きだ。
がん再発という厳しい状況がやってきても、次は必ずいいことがあると受け流してしまう。
「だれにでも人生には限りがある。だから、それまでの時間を精いっぱい楽しもう」
繰り返される試練を乗り越えて体得した、石川さんの処世術であり、ゆるぎない信念である。
石川廣司さんの詳しい「がん闘病記」、及び「インタビュー記事」はウェブサイト『ミリオンズライフ』に掲載されています。ぜひ、読んでみてください。